金沢の車窓から

タブロイド

「狭い道」が活きる、そんな街へ!

 まちなかでは本来、道は単なるクルマの通路ではありません。狭い城下町では特に、人にとって優しい、多機能の公共空間でなければなりません。金沢都心の国道157号は旧北国街道です。その歴史を踏まえ、城下町らしい〝街路〟としていかに再生していくか、単なる渋滞対策にとどまらない大きな課題です。
 金沢駅東側の都心軸を考えてみましょう。沿道の建物へのアクセスはクルマには不向きです。車社会を前提に都市計画された駅西地区の大通りと比べれば、違いは一目瞭然です。道の履歴や性格が違うわけです。にもかかわらず、昭和四十二年に路面電車を廃止して以降、旧街道はクルマへの適応を専らにしてきました。そのためもあって、都心の一等地までもが青空駐車場に変貌しています。過剰なモータリゼーションは、金沢という美しい街の歴史的個性を消去してきたのです。

 片町商店街は日本で最初に組合組織を結成し、長く繁栄を続けています。片町に限らず、武蔵ヶ辻から野町に至る旧街道沿いは、昔も今も、様々な商店が軒を並べ、色々な人が集う繁華街です。しかし近年、新幹線開業やインバウンド需要の恩恵を受けながらも、その地力に鑑みればやや停滞気味にみえます。この状況は、クルマでの誘客という活性化戦略がすでに限界に達していることを意味しているのではないでしょうか。
 にもかかわらず、旧北国街道は旧態依然のクルマ優先で運用されています。住居のみならず企業や銀行の郊外への移転が進んでいますが、大きな理由は自動車交通の不便、そして駐車場の不足です。街も道も狭いので当然です。といって道路の拡幅は難しく、青空駐車場は見苦しいものです。県外資本のホテルが〝虫食い〟を埋めるのも、金沢経済の内発的発展の歴史に照らせば諸手を挙げて歓迎すべきことではありません。結局、旧街道は、郊外から郊外への通過交通を大量に捌く一方、都心への求心力を十分には高めていません。
 中心市街地を窮地に追い込む一撃が、幹線道路の恩恵に与る大型ショッピングセンターの郊外への進出です。歴史という重い制約がないため、広く安い土地に巨大で清潔な〝商店街〟が忽然と姿を現すのです。問題は、そこで使われる住民のオカネが、その半分も地域内で循環しないということです。グローバル経済の大資本経営では、おのずと本社所在地の大都市や海外に流出するわけです。伝統的な〝地産地消〟の商店街に悪影響がないわけがないのです。

 もちろん、行政がこうした窮状を傍観していたわけではありません。約二十年も前に、次世代型路面電車のLRT(ライトレール)の具体的な計画案を、日本で最初に作成したのです。ヨーロッパでは、都心へのクルマの乗り入れを規制し、路面電車を復活させ、広場を駐車場から歩行者空間に変えた歴史都市は少なくありません。人の流れが劇的に変わり、まちなかは見事に再生を果たしています。商店街の売上げも伸びています。金沢もそうした成功例に倣おうとしたのです。
 ライトレールは「走る回廊」と呼ばれます。その理由は、乗降口が地面と同じ高さで、段差も隙間もないから、というだけではありません。重厚感とともに開放感を漂わせて悠々と往来する姿が、都市という〝歴史が培った社交の舞台〟を回遊するにふさわしい装置だからです。
 この「走る回廊」に二車線を当てれば、道路空間を効率的に利用でき、青空駐車場を減らせます。人の流れが太くなって、車道を削って歩道を拡幅した京都の四条通と同等以上の経済効果を得ることも不可能ではありません。狭い空間をいかに有効に使うか。この、非戦災の城下町特有の都市問題に苦心してきた金沢であればこそ、日本最初のLRT計画を作成しえたのです。
 都心と郊外、各々に適した移動手段があります。そしてそれは、各々の地区の商業のあり方にも大きく関わっているのです。道路整備とクルマ依存のライフスタイルを活かして郊外の大型店が繁盛しているのなら、差別化戦略としてライトレールを商売に活かしても不公平とはいえません。地域経済の活性化という公益にも資するのですから。
(次月号に続く)

[寄稿] 
毛利 千香志(もうり ちかし) 
金沢・LRTと暮らしを考える会 会長
地方都市である金沢の公共交通機関の在り方を問い、現代の豊かな暮らしの実現に公共交通機関の果たす役割は大きいと言う。