ビールの世界と豊かな街

インタビュー
足立 純平(あだち じゅんぺい)
1978年11月生まれ・埼玉県和光市出身・20代は主に音楽、映画、旅行等、趣味優先の生活・ベルギービール専門店やフランス料理店勤務を経て、2018年4月金沢市里見町にてクラフトビールバー「タテマチ チェ」を開業
Tatemachi CHE(タテマチ チェ)
石川県金沢市里見町35番 中川ビル1-2
www.facebook.com/tatemachi.che
www.instagram.com/beer_tatemachiche

豊かな生活と第三の場

 僕は、酒場というのは都市のインフラのひとつであると思っている。家庭と職場の間にある「第三の場」であり、都市に生活する人の日常を豊かにするには、そのような場が充実していることが必要であると思う。だから、この店は飲食店をやっているというよりも公共空間を提供していると思っている。自分の趣味で編集した空間を市民の皆さんや、観光客の皆さんに提供しているという感覚でやっている。酒場というのはコミュニケーションのスペースであったり、ちょっとした休憩所であったりする。このお店では、ふたつの大切な価値を皆さんに提供したい。

ふたつの大切な価値

 ひとつはビールが飲める公園として。そのためにチャージ無しで、支払いは一杯ごとのキャッシュオン。営業時間を長くして昼過ぎから深夜まで、いつでもちょっと一杯、休憩できるようにした。これは観光客に結構ありがたがられている。地元の人にも買い物ついでにちょっと一杯できる休憩の場所でありたい。お子さん連れやお年寄り、学生でも。例えば用事があり出掛けたとか、買い物に来て帰りにちょっと一杯、飲んで休憩できる場が有るのと無いのではやはり違う。そうはいうものの、お酒を出すところなので公営ではやれないだろうから、ビールを飲める公園を僕がやろうと思う。

 ふたつめはカルチャーセンターとして。今では、よく目にするクラフトビールは、日本では非大量生産ビールのことをであると認識されている。非大量生産ビールにはふたつの大きな流れがあり、ひとつはアメリカ発の新しいクラフトビール。アメリカというのは伝統的な地ビールがほぼ無いに等しかった国で、大量生産化されるようになってからのビールが市場のほとんどを占めていた。日本も同じ。でもそれだけでは面白くない、工夫して行こうと高価格であるが高品質で、これまでのビールとは違うものを作る小さな会社が増えてきた。それが世界的ブームになっている。それとは違ってヨーロッパには、20世紀に世界に広まった大量生産型ビールが生まれる前から文化として根付いてきた伝統的な地ビールがある。ドイツ、ベルギー、イギリス、チェコなどビール文化圏のものだ。このふたつに加えてアメリカ発のクラフトビールの影響を受け、ヨーロッパの昔ながらの伝統あるメーカーがアメリカ市場を意識していたり、アメリカ流の新しい技術や製法を取り入れたものを造ったりもしているし、その逆に、アメリカのメーカーがヨーロッパの伝統的製法に挑戦して成功している例も多い。

 まさにカオス状態。クラフトビール、非大量生産ビールといっても、皆さんがいきなり国産のキリンやアサヒ以外のものを飲もうとしたとき、何だかよく分からない感じだと思う。僕は、ベルギーの伝統的地ビールを専門に扱うお店で働いたことがあり、その影響でアメリカ式の新しいクラフトビールよりも、ヨーロッパの伝統的地ビールのほうが好き。でも今の多くの消費者にとっては、ヨーロッパの伝統的地ビールの方がよく分からないものであり、アメリカ流のものの方が受け入れ易い。新しいし、そもそもこれまで大量生産型ビールしか知らなかった消費者の嗜好興味に合わせて造られている場合が多いから、これは仕方ない。

 国産のクラフトビールメーカーもアメリカ式の高品質なビールを造るところは多くあるが、ヨーロッパの一部のメーカーによる、それこそ数百年単位の選別に耐えて現代の成熟した市場向けに工夫、改良したものと同じ土俵で互角に渡り合える製品を造るのは、まだ難しいと言わざるを得ないのではないか。そのような訳で僕は、現在日本のクラフトビール市場で主流となっている新しいアメリカ式のビールも扱いつつ、どちらかというと、とっつきにくいベルギーを中心とするヨーロッパのビールを主に紹介している。それぞれの商品を通じて、そのビールの歴史的な位置付けや世界のビール市場の全体像を学んでもらうと言うと少しおこがましいが、ちょっとしたカルチャーセンターだと思ってもらえれば良い。

 この店では料理を提供していない。作らないし、僕は何もすることがない。だから疑問に思っていることや聞きたい事など、なんでもいつでも僕は答えられる。ちょっとしたカルチャーセンターの講師にいつでもなれる。アメリカでも日本でも、当然ヨーロッパでも、ブームに乗って造られた凡庸な製品をユニークでこだわっていて、高品質であるとうたったものが最近では特に目立ってきている。普通にインターネットで検索しているだけでは宣伝文句だけしか入ってこない。ちょっと疑問に思っている事があったら、いつでも僕に聞いほしい。

お酒のポテンシャルを引き出す飲み方

 僕はビールを飲むプロだと自負している。ビールを飲むのが上手で、どんなビールでも、ものすごくおいしく飲める。僕は三十歳頃まで、お酒に一切興味が無かった。味に全く興味がなく、飲みやすくて酔えれば良かった。三十歳くらいの時にベルギービールのお店でアルバイトをするようになり、少しずつお酒の味というものを楽しめるようになった。そうなると同じお金を払うのであれば、何も知らずによく分からないものを飲むより、少し知恵を付ければ、こんなに満足感を得られるのだと気付いた。これはみんなに教えてあげたい。

 よりおいしく飲むには、お酒のポテンシャルを自分で引き出してあげないと無理だと思う。しかし、日本人がビールを飲むようになってまだ日が浅い。普段から飲むようになったのは冷蔵庫が家庭に普及してからだ。それもあってか、僕たち日本人が普段親しんでいるビールは、キンキンに冷やすことを前提にして造られているし、そうでないビールの適切な飲み方というのを日本人の多くは知る機会があまりない。

 ヨーロッパを含むユーラシア大陸西部の麦作地帯におけるビールの起源は数千年前といわれている。現在のヨーロッパ各地に農耕が伝わった頃から、すでにビールを飲み始めていたそうだ。もちろん、冷蔵庫なんかあるはずがない。かつて食が豊かではなく、飲食による快楽の中でビールによるそれの比率が高かったであろう地域の人々は、ビールを豊かに味わう飲み方を文化として身に付けている。しかし僕らは、そういう文化の元で育っていないわけだから、ある程度の知識とやっぱりセンスが必要になる。センスというのは経験から磨かれるもの。例えば、上等なビールを何度も飲む経験。僕は、ベルギービールのお店でアルバイトをして三カ月目で初めてベルギーのビールがうまいと思った。

 ベルギーのビールは基本的に甘い。ほとんどの人はビールが甘いという意味が分からないと思う。実は、ビールの元になる麦汁は甘い。なぜビールになるかというと、麦のデンプンが分解されて糖分になる、それを酵母が食べることによりアルコールと炭酸ガスに分解されビールになる。酵母の能力には限界があり、アルコールの度数と元々の麦汁の濃さが比例する。つまり、糖分が多く入っている麦汁から発酵すると、アルコール度数は高くなる一方で糖分が多く残り甘くなる。

 ビールは、なぜ、ヨーロッパ社会にこれほどまでに広まったのか。昔はヨーロッパの水は殺菌されていなく、飲むと必然的におなかをこわす。だから、おなかをこわさない液体が必要だった。ビールは、飲んでもおなかをこわさない液体であるうえ、アルコールが入っているので酔える。また、ビールが他のお酒と決定的に違うのは、麦の栄養を摂取するために飲む、栄養ドリンクであり、どちらかというと労働者の飲み物だった。そんなに多くを知らなくても「ビールとはそういうものなんだ」という前提がないと、何を飲んでもわけがわからなく終わってしまうことが多いと思う。

 何杯か飲んでいくとセンスが磨かれて行く。「おいしいよ」と言われていたものを飲んで、自分の中のセンサーが発達し磨かれてていく。センサーが発達している大人を見ながら、そのような文化のなかで育った人は、子供がいつの間にか言葉を覚えて話すことができるように、普通に「そういうビール」を「そういうよう」に味わえるようになる。

 僕らは、ベルギーの伝統的ビールを普通に、おいしく飲んでいる大人を自身が大人になるまで一度も見たことが無いので、何がなんなのか分からない。でも、ある程度の知識があれば想像ができる。これは、自分が知っているものと違うものかもしれないと想像力を働かせる。後は、何度も飲んでいくうちに、自然と自分の中にそういうお酒のおいしさを感じ取るセンサーみたいなものが少しずつ発達していって、あるとき色んなものがつながって、まったく違う世界を感じることができる。そのためには、ある程度の知識とトレーニングが必要になる。そういうのをやっていけば、普通のビールでも、よりおいしく飲めるようになる。

 ビールは栄養ドリンクなので体は喜ぶが、栄養がいらないときに栄養の濃いビールを飲のは度が過ぎる。体が喜ぶ飲み方、どのようなものを飲むと、自分にとって良いか考えればよい。ということは、そのビールのポテンシャルを引き出してあげることが大切。自分が今、どの手のビールを求めているのか。取りあえずいろいろ飲んでみて、こういうのをこういうときに飲んで、「こうだったよね」という経験を積み重ねて行けば、「今、あれ系をこんな感じで飲んだら最高」「これ系をこう飲んだらベスト」などと、どんどんビールを飲むのが上手になってくる。体が喜ぶ飲み方をするためには、ビールの個性に合わせて適切に選べる様になる必要がある。そういうトレーニングを気軽に楽しみながらしてもらいたい。どうせなら、お酒とのコミュニケーションが上手に取れるようになった方が豊かになれると、僕は思っている。

ディリーとグルメ

 僕は、ビールをディリービールとグルメビールとに分けて考えている。ディリービールというのは、普段飲むビールのこと。例えば、今はちょっと疲れてるし、ディリービールの気分。集中して味わうとかではなく、さくっと麦の栄養を体に入れる。シュワシュワして気持ち良くなって、ちょっと酔っ払って一杯飲んで出たいなという時もあれば、今日は好奇心旺盛だし体調も良い、ちょっとグルメの世界を味わいたいというときもある。完全に線が引けるわけではないが、僕はディリービールとしての価値とグルメビールとしての価値は違うと思っているので、分けて提供している。そういうことも少し頭に入れてビールを選んでいく。今、ディリービールの気分、今、グルメビールの気分というように、それぞれのビールをシーンに合わせて提供できる。カルチャーセンターとしての僕ができること。

ちょっと一杯の豊かさ

 お酒を上手に飲めるようになったほうが豊かだと思う。御飯を食べるときに、いいかげんなお酒を飲んで酔っ払って、よく分からなくなってから、二次会で値段の高いお酒を飲む人が多い。ずっと酔っているから味がわからない。これは本当にもったいない。だから、その前にここにきて、ビールのうまいやつを飲んで気分が良くなってから、次へ繰り出すとよい。酔っ払ってしまうと、お酒の味なんてよくわからない。高いお酒ほど、自分が本当にそれを求めているときに飲むべきだと思う。

 ビールは対価として労働者に振る舞われるものでもあったので、働いた後にビールをおいしく飲めるのだと思う。仕事に疲れて、頭もギシギシしていて体も疲れている。そんな時は、ディリービールで済まさずに、今の自分の気分に合う、上等なやつをぐいっと一杯飲んだら、それはそれは、本当に最高の気分。働いた後の一杯が本当にうれしく感じられる。

 上等なビールが世界から日本に入って来ている。また、日本でもどんどん上質なビールが造られるようになってきた。せっかくなので、ビールをより上手に楽しめるようになった方が良いし豊かだ。

 アメリカやヨーロッパの人が、明るい時間から飲む(アルコール飲料)というのは普通のこと。日本とまったく飲み方が違ううえに、お酒に強い。元来、日本にはビールのような低アルコール飲料は無かった。ほぼ日本酒であり酔うために飲む。だから労働の合間に飲むなどは日本ではまれだったろう。昼から酒を飲むというのは、特に都市で生活している人にとっては、普通のことではなかったように思う。一方、ヨーロッパでは、ビールは労働の合間に栄養補給のためにずっと飲んでいた。今でも昼からビールを飲むのは当たり前だったりする。外国人にとっては晩飯前にちょっと、観光の合間にちょっと飲むというもの。

せっかくビールがある

 日本の働き方も少しずつ変わって、いろいろな働き方をする人も出てくる。当然、もう働かない高齢者もいっぱいいるわけだから、そんなお酒の付き合い方も必要ではないだろうか。特にお年寄りには、お店に来てもらいたいと思っている。散歩してちょっと一杯、上等なビールを飲んで「そうか、こんなのがあったんだ」とか「若い時、仕事でヨーロッパへ行ったけど、こんなの分からなくて、ただ飲んでいただけだったなあ」だとか、そういう楽しみを提供できる。ちょっと一杯、飲める店があることで、公共交通を利用する人が増え、それが街の公共交通の発達につながればいいなとも思っている。

 観光客には思い出の場になってほしい。「あそこにビール飲ませてくれる店があってよかったな」そう思ってもらえればうれしい。こんなところに、こんなビールを置いてある店があるのか。金沢は面白い街、楽しいし便利な街だなって思ってもらえればいい。究極的には、この店があるから、この辺りに住みたいなと思ってもらえるようになりたい。でも、それはこの店だけではかなわない。

 地元の若者が東京に出ようかと迷ったときに「ああそうか、こういうお店があるんだったら自分もやれる」と思って、地元で商売をやってくれる人が出るかもしれない。そういうところも目指してやっていきたい。

金沢を選んだわけ

 僕は鹿児島県生まれの埼玉育ち。大人になってからは、ずっと東京に住んでいた。僕には、ふるさとが無い。埼玉で育ったのだが、親がそこに家を買ったというだけで、親戚がいるわけでもないし、ご先祖さまもいない。だから自分の育った町にそんなに愛着はない。しかし、ふるさとがなくなったらよくないのではないかという思がいある。ふるさとがないのは寂しい。

 東京ではないところにも住んでみたいという気持ちがあった。どこに住み、どこでお店をやろうかと考え、観光資源に恵まれた地方都市でやって行きたいと思うようになった。さすがに、東京でぶらぶらしていた人間が、いきなり地方に行き、百パーセント地元の人を相手に商売をするのは少しハードルが高い。しかし金沢なら、お客さんの半分が観光客で半分が地元の人というように、今やっているような店ができるだろうなと思った。

 観光資源に恵まれた地方都市は他にもある。なかでも金沢を選んだのは、以前、スペインのバスク地方でビルバオというところに行ったことがあり、すごく感激した経緯がある。バスク地方というのは、もともと今のフランス、スペインの一部にまたがってバスク民族といわれる人たちの国家があったところで、同じスペイン国内にあって、言葉は違うし文化も違う。独立心がたいはん強いらしく経済的にも豊かで、その中心都市でもあるビルバオは、かつて鉄鋼で大きく栄えた街。鉄鋼が寂れてしまった後は、蓄えた富をアートに集中し、今ではアートの街となった。街の真ん中に現代美術館がある。

 僕が引っ越し先を探すのを兼ねた旅行で、金沢に初めて来たときに、ビルバオにすごく似ている「金沢、いいなあ」と思った。
きれいな街に住みたいという憧れもあった。こんな街にこういうお店があったらいいな、この街は自分の思うことをやれそうで、ちょうどいいかなと思い金沢にやって来た。

音楽の話

 僕は音楽が好だけど、趣味がひどく偏っていて、ほとんどカトリック圏の音楽しか聞かない。アメリカやイギリスなど、英語圏の音楽には興味が無い。フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語の国、つまり地中海周辺や中南米などの、少し時代に取り残されているけれど、豊かな伝統文化があり、伝統を大切にする気持ちがあるような国の音楽が好き。そういうものも面白がってくれる人がいればいい。でも、お客さんはそんなに興味を示してくれなくて、あまり言わないようにしている。

 フランス、スペイン、イタリアからの観光客がこの店に来ると「こんなのを知っているの?」って、すごくビックリする。音楽は、その国独特のマーケットがある。日本もそう。日本でサザンとかユーミンとか好きな人が多い。僕は”永チャン”が好き。矢沢永吉なんて日本で何十万というファンがいるけど、日本以外の国では誰も知らない。フランスにも永チャン やユーミンみたいな存在の人はいる。当然、スペインやイタリア、中南米にもいる。僕はそういうものが好き。僕の方が、その国の人たちと音楽の話をしたいという方が強いのだけど、来店した外国人が面白がってくれる。これは、うちの店のちょっとしたおまけ。中には、けっこう感動してくれる人もいる。自分たちの国の人間しか、この音楽を良いと思う人はいないと思っていたけれど「ああいるんだ、良かった」みたいな感じかな。僕は、矢沢永吉がすごく好きだから、日本以外の国で好きな人がいてくれたら、すごくうれしい。

ただの飲み屋の店主だけど

 こういう店に来る人は、パッケージツァーで兼六園を観て近江町市場へ行き金箔アイスを食べて帰るだけではない。二泊、三泊して金沢の街をあちこち歩き回り、街自体を楽しんでいる。だから、いろいろなお店があって誰もが歩いて楽しいということが大切。

 地元の人が面白おかしく生きている。楽しく豊かに暮らしているのを観光客が見たら「金沢って良いところだな、また行ってみたい。今度は連泊して地元の人が行くようなお店にも行ってみたい」などと思ってもらえる。そうなれば街にも良いし、観光客にも良い。
 金沢には、そんな可能性がまだまだある。最初は兼六園を見に来たけれど、ついでに街を歩いてみたら、とても素敵な街だった。「今度は金沢の街歩きを思いっきり楽しみたい」というような、観光客がどんどん増えれば良い。

 この辺りを歩く人は観光客が多い。地元の人には、もっと来てもらいたいと思うが、おしゃれなカフェ、おいしいラーメン屋、便利なショッピングセンターなど、みんな郊外にある。金沢は、交通の便が良くなく、車社会に完全に適応しているから、地元の人はそれほど来ないのだろう。この辺りに来るにも車で来なければならず、そのうえ駐車料金も高い。ちょっと飲みたいだけなのに車で来られないし、そもそも車で来たらお酒なんか飲めない。

 日本の地方都市の公共交通は、ヨーロッパと比べるとずいぶん遅れていると思う。ヨーロッパの地方都市は、公共交通機関が整備されていて、地元の人にとって便利で歩きやすく暮らしやすい。それに過度なモータリゼーションはセーブされている。

 ちょっと一杯、飲める店が街の真ん中にある。その店に行くには、車よりもバスや電車、あるいは自転車や歩いて行った方がいい。そういう人が増えれば、より楽しく歩ける街になる。そして、公共交通がもっと便利になってほしいという声もあがっていく。僕はただの飲み屋の店主だから、できることといったら、そんな方向付けの手助けかな。

よそから来た者

 新竪町なんかは、独特の雰囲気があって好きだ。それに少し抜ければきれいな犀川に出る。街中の、あんなにきれいな川に、散歩やピクニックをしている人を案外見かけないことが不思議だ。時折、散歩やランニングをしている人がいるくらいで、もったいない。東京では、あんなに芝生があったら休日は人でいっぱいになるんじゃないかと、よそから来た者同士のお客さんと話すことが多い。僕がもっと暇だったら、春夏の天気の良い時季には、取りあえず川へ行き、新聞紙を敷いて缶ビールでも飲んで「ぼー」としたい。あんないいロケーションは無い。金沢城前の公園もイベントのとき以外、ほとんど人がいない。金沢の人はみんなシャイなのかな。イベントもない芝生に寝転がっているところを人に見られると「なんか変なやつ」と思われるとか、そういう気まずさや窮屈さなどがあるのかな。

薄まればいい

 若い人は、思っているけど思っている事が言えなくて、できない。その窮屈さが嫌だから東京や大阪に出て行くのかもしれない。地元が百パーセントだと、そこに窮屈さを感じる若い人は、町を出て行ってしまうと思う。だから、こういうお店もポツポツとあれば「俺はあの手のノリでいきたい」などと思ってもらえる。地元の人とべったりはしないけれど程よい付き合い方がある。地元の人間同士だと、それがなかなかできない。だから”べったり”を中和して薄める役割は、よそから来た人間が出来ることだと思う。
僕らみたいなよそ者も少しは街の役に立てるのではないかな。

足立純平
2019/11/27