勉強を教えない 塾長の挑戦

インタビュー
津本 高宏(つもと たかひろ)
教育者・YouTuber・1990年生・富山市射水市出身
座右の銘:今までの人生は、今、この瞬間のための伏線である・大学生時代に大手学習塾でバイト講師となりそのまま就職して塾長となる・二年後、独立し個人契約の家庭教師を始め、その半年後には学習塾STUDYBANKを設立・エンタメ系YouTuberとしても活躍する

勉強を教えないふたつの意味

「勉強を教えない」というコンセプトには、ふたつの意味があります。

 ひとつめは、授業そのものが大事ではなく、勉強の仕方が何より大事だということです。時間を有効に使い、いかに勉強を進めていくのか、そのやり方が大事だと思っています。だから、僕らの立場は勉強の仕方を教えて、ちゃんとできているかどうかをチェックするなど、コーディネーターとしての役割の方が重要だと思っています。そういう意味で、普通の塾のような科目を教えるだけの授業は行っていません。


 ふたつめは、勉強は大学へいくためには重要ですが、それが全てではなく、むしろ他により大事なものがたくさんあるということです。勉強以外のこと、多様な考え方や社会がどのようになっているかなどを伝えていきたいです。「勉強を教えない」には、そういう意味が込められています。実際に多くの大人の話を聞いても、学校の授業で習った知識が実社会で役に立ったという話は、あまり耳にしません。

 生徒さんというのは勉強が第一で、それ以外に目を向けるというのは難しいです。親御さんもそれをを分かっていたとしても、じっくり考える機会はなかなかつくれません。塾のホームページには「勉強方法を教えます」と案内していますから、当然それに引かれてくる人が多く、とにかく受験に合格させてほしいという感じです。それでも入塾するときの面談で、先ほどのような話をすると、有り難いことに感銘を受けられる方もいらっしゃいます。

 親御さんは、話を聞いて考えも柔軟になり、そういうことも重要だと少しは理解してくださるようです。面談のときには「落ちていいんですよ」などと話をします。それは、努力したこと自体が一番大事だと思いますし、失敗したなら、その経験を得られるからです。失敗をを糧にできるという話を織り交ぜながら「合格だけではないですよ」と話をさせて頂いています。

 今の日本の教育事情は、すごく錯綜しています。センター試験が変わると言われていましたが、未だにどのように変わるのか分かりません。受験ありきで、それがゴールだと言わんばかりの教育に生徒たちは振り回されています。

 いろいろな高校の生徒を見ていますが、多くは勉強にばかり力を入れています。学校から出された多量の宿題が徹夜してもできず、翌日に登校すると他の生徒もできていません。それで先生に叱られたということを度々聞きます。そういう状況を見ていると複雑な気持ちになります。やりたいことが無い生徒にとって、勉強は努力するひとつのものとして考えると重要かもしれないですが、さすがに度が過ぎます。

方向転換

 「勉強以外のところでも、なにか頭ひとつ抜け出ないと駄目な時代になってきたような気がする」と、インターネット上には多くの人たちの意見があがっています。しかし、その声が学校の現場にまで届いていません。今の受験自体が時代の流れに合わなくなり、ニーズに対応しきれないのではないだろうかと、僕の中では、危機感が大きく膨れあがっています。

 僕の塾は、これまで地域の需要に応えるため、受験に重きを置いて運営してきました。また、サブの要素として勉強や受験以外のこともやってきました。しかし、これからは受験以外のことに注力する教育機関が必要になってきます。だから、塾としての教育方針や方向自体を大きく変えなければいけないと思っています。

 とはいえ、受験勉強に重点を置いている状態からいきなり方向転換をしても、その状況に地域はついていけません。塾として難しいところです。そうだとしたら、そのようなものを無くしてしまった方が、いろいろとスピードが速いのではないだろうかと思っているところです。

 最近では、大学受験塾としていったん活動を終える方向で考えています。今、やりたいと思っているのは、完全に塾を切り離した、社会人を巻き込んだキャリア教育です。それにリカレント教育の塾、大人になってからも学べる場を新しく作らなければ、僕たちの教育事業は続いていかないでしょうし、とうてい満足できるものにはなりません。ですから、いったん大学受験塾を切り離す方向に、考えがまとまってきています。

影響を与える存在

 僕は、どちらかというと教育者として不向きな人間かもしれません。生徒と一対一で向き合って指導し続けるのは、すごく苦手なことですし、僕自身がプレーヤーとして自己研さんしていきたいというタイプだからです。人を成長させることも、自己研さんになるのかもしれないのですが、僕には実感できませんでした。このような状態で生徒に向き合ったところで、どこか距離感があり手を抜いてしまいます。そのため、塾の指導者の立場は、優秀なスタッフに任せることになりました。その後、自分は教育者として、どういう振る舞いをすれば良いのか、自分はなんのためにいるのだろうかと悩みながらも動き回りました。その間、ブログ運営やイベントの開催などで人をつないで、お金を稼いでいた時期があり、その事を生徒に話すと「先生みたいになりたい」と言われました。それを聞いた瞬間に「これだ」と思いました。

 教育というものは、生徒に伝えたり教えたり、引き出すなどということをするだけではありません。「この人みたいになりたい」というような大人像がそこにあるだけで、教育になり誰かを育てることができると気付きました。

 僕は、子供のころには、なりたいものはありませんでした。テレビで芸能人などを見て、かっこいいなあと思っていた程度で遠い存在のものでした。もし、あこがれる存在が近くにあったなら僕も変わっていたのかもしれません。それに気付いてから「僕自身が理想の大人像」になることこそが、自分なりの教育者としてのあり方だと思いました。僕はこれを「背中で語る教育」と言っています。それを形作るために僕自身が誰よりも面白いことに挑戦して、その姿を子どもたちに見せていきます。

 最近、ユーチューバーを始めました。それが軌道に乗り始めています。僕のチャンネルを見た生徒から「先生、すごいですね。なんでこんなに伸びているんですか」と話しかけられたことがありました。「かっこいいだろう。こうやったんだよ」と返すと、目を輝かせて聞いてくれます。学校で教わること以外に大事なことが多い世の中ですから、そういう世界にも足を踏み入れることも考えながら、大学生活を送った方が、最終的に良い選択ができると思います。

 僕は今まで、人と付き合うのは苦手でした。雑談が苦手で意味のある話、例えば未来につながる話などではないと話し続けることができず、人とのコミュニケーションが苦手でした。だから、ひとりでユーチューブの動画を作ったり編集したりで、そのうち技術的なスキルばかりが身に付いていきました。そんな僕が、ある交流会に参加したときに「ユーチューブ登録者数が一万三千人くらいいるんです」と自己紹介すると、「すごいですね」と多くの人が僕のまわりに集まってきました。その時、初めて「僕ってレアな人間?」と気付き、それからは自然と人とのつながりが増えていきました。そのようなことがあってから、人と会う機会を増やしていくようにしています。いろいろ話をさせていただいて仕事の幅を広げようと思っているところです。

 百年ほど後くらいには、働かなくても生きていける時代がやって来るかもしれません。人が嫌がる仕事をどんどんAI(人工知能)やロボットがやるようになるでしょう

 今の世の中は、嫌な仕事や我慢の対価として、お金をもらえるという構造が出来上がっています。本来なら、価値を生み出し、価値を提供しているからこそ、その対価としてお金がもらえるはずです。我慢しなければならない仕事を全部AIがやってくれる時代になってくると、人は好きなことをして生きていける時代がやってくるはずです。嫌なことはやらなくても生きていけます。でも、そのような時代が来るまでの間に、AIやロボットに仕事を奪われてしまう人が増えてきます。その人たちの多くは「嫌なことをしないとお金をもらえない」という思考になっていますから、仕事をしたくても求める仕事は有りません。もし、その時「自分のやりたことや得意なこと、好きなことでお金を稼ぐ」という思考を持っていたなら、状況は大きく変わるのではないでしょうか。だから僕自身が、好きなことで食べているよと発信して、特に今の子供たちに見せていきたいと思っています。

 今の働き方改革や政治的な流れに身を任していても、本当の意味での働き方改革はやってこないと思います。だから今は、自分の周りの人たちを巻き込んで、好きなことで食べていける状態を作りたいと思っているところです。みんなが好きな仕事をした方が経済が回るはずです。例えば、郵便配達が好きな人が事務作業をして、一方では事務作業をしたい人が郵便配達をしているとします。これは、どう考えても効率が悪いです。働くところを逆にした方が効率が良いはずです。世の中には、適材適所の職業に就いていない人は山ほどいると思います。だから、そのマッチングができたら経済がよく回る気がしますし、みんなが幸せに働けると思います。そういう世の中になったらいいと思います。

 ここ最近の教育改革の騒動で僕は完全に吹っ切れました。国の教育指針にすべてを任せられないと思っています。こんなに混乱した状態では、自分の子供を学校に通わせたくありません。子供が学びたいと思える場を国の指導で作ることができないのであれば、自分たちの手で作り、何かができればいいと思います。また、今の世の中は、より均一化、平均化されていく傾向にあります。これでは、ずば抜けた能力を持つ人が減るいっぽうで、多くの分野において、発達するものも発達しなくなります。

 国が対応してくれると期待を持てず、自ら動き出している人が全国にたくさんいます。これに僕らも参画しなければいけないと思っています。

津本 高宏
2019年12月13日