「広い窓」が楽しい、そんな街へ!
ライトレールは安定した線路の上を走ります。そのため乗り心地が良好です。
加えて、まちづくりの観点から評価すべきは、窓の広さです。視界に入る街の風景がぐんと広がるのです。着座した乗客と歩道を行く人の間で、視線の高さがちょうど合います。窓を通して街を見る人、窓を透かして車内を見る人が互いを近く感じ、都市空間を共有しているという一体感を得られるのです。
バスの場合、沿道の歩行者は騒音と排気ガスを我慢し、雨の日は水を跳ね上げての走行に要注意です。乗客も、歩行者を見下ろす位置に目線があって、乗車自体を楽しむ気分になれません。バスが連節になっても自動運転になっても、この点は変わりません。鉄軌道も、地下に通してしまえば平凡な輸送機関です。しかも上下の移動が不便です。
ライトレールの内と外とで人と人の距離が近いことは、街にどんな恩恵をもたらすのでしょうか。
ヨーロッパの都市では、商店はショーウィンドウを重視するようです。外から“見られる”ことを強く意識し、商品の陳列に独自の飾り付けを施します。こうした“見せる窓”は、その店のみならず通り全体を華やかに彩ります。各店が個性を競うことで商店街全体の価値を高めていくわけです。こうした創意工夫を新たに行うきっかけが、ライトレールの開通でした。金沢のLRT計画が依拠したストラスブールのトラムは大きな窓が特徴で、床の低さと相まって街に溶け込んでいます。
乗客の視点でみれば、電車に乗りながら、まるで歩行者の気分でウィンドウショッピングを楽しめます。広い窓から街を眺め、気になる店を見つけたら、次の電停で降りて立ち寄ってみる、そんな気軽な“まちの歩き方”もできるのです。その空間移動の滑らかさをパソコンのスクロールに喩える人もいます。この点で、金沢の道の狭さは有利です。道が狭いとは、道を挟んで向き合う建物の距離が近いということです。商店街を一望に収めつつ回遊しやすいのです。
オープンカフェにしても、すぐそばを大型バスが頻繁に通り過ぎては落ち着きません。ドイツのフライブルクで一夏を過ごした知人の話では、まちなかのカフェは空気も良く、緑も豊かで、目の前を行き交うのは人々と路面電車のみ。談笑しながら飲食していると、その様子を見て、電車を降りた人が空いているパラソルに入ってきて同じメニューを頼む、そんなブランチの光景も珍しくないようです。こうした市民の日常生活の豊かさが観光客にも好まれ、特に有名でない都市にも少なくないリピーターがいるそうです。
窓の広さは、風通しの良い快適な車内空間も生んでいます。バスより広く平らな車内は、老若男女の出会う公共の空間です。車両内外の“他者の目”を意識することで、公共のルールやマナーが守られ、安全も保たれます。おしゃれにも気を遣うようになります。
金沢都心の国道157号沿いでは、街と道が都市景観の構成要素として調和しているでしょうか。人が都市空間の主役として活き活きと動いているでしょうか。残念ながら、街も道も人も、クルマへの適応を優先しています。専用路のないバスは数珠つなぎになって渋滞を起こし、商店は必ずしも通行人に向かって開かれていません。駐車場が街並みを虫食いにしています。
もしこの状況に危機感を抱くなら、日本最初のLRT計画を実行に移すかどうか、再度、真剣に考えてみてもよいのではないでしょうか。その際、ライトレールと商店街の「窓」を通じた関係は一考に値します。少なくとも確認すべきは、交通機関は単なる移動手段ではないという一事です。ライトレールは“コミュニティのツール”として、アジア、アフリカを含む各国で都市生活の豊かさを演出しているのです。道が狭くなるといって邪魔者扱いするのは、思考の幅が少々狭いからではないでしょうか。
当然ですが、ライトレールを導入すれば必ず街が栄えるというわけではありません。ただ、都市の機能、品格、風情を高めるのは間違いなく、その恩恵を受けて商店街も大きな発展の機会を得ます。そしてその有利な環境は、レールが存在する限り続くのです。
[寄稿]
毛利 千香志(もうり ちかし)
金沢・LRTと暮らしを考える会 会長
地方都市である金沢の公共交通機関の在り方を問い、現代の豊かな暮らしの実現に公共交通機関の果たす役割は大きいと言う。