変わり行く労働の価値

鳥越 勇人(とりこし はやと)
1972年12月5日生まれ
社会保険労務士・行政書士

2005年
石川県金沢市にて事務所を開設
2017年
石川労務局の外国人雇用管理アドバイザー就任

サポーティングオフィスとりこし
石川県金沢市小金町8-16万石ビル3F
Web: http://torikosi.com

人工知能(AI)の台頭

 私たちが若いころに教わった「仕事」というものの有様が変化している。一部の職人仕事のように、長く変わらないであろうものを除き、人が行う労働の「価値」は、ずいぶん変わってしまったようだ。一般的に、高学歴の人が就くであろうオフィスワーク(事務職業務)などで必要とされていた知識や計算能力、あるいは経験などがAI・コンピューターに取って代わられつつあることは周知の事実である。また、単純な作業には、人間に代わってAIが組み込まれたロボットが台頭し活躍している。今後その傾向はより顕著になる。そうであるから、人間にしかできない仕事に高い価値を生み出すほかはない。その一方では、たった今やっている仕事の価値は革新により、価値が下がるというわけである。AIは、人間が行う仕事の価値や概念をも変えてしまう。人の仕事を奪う一方で新しい仕事も生み出すことだろう。

社会的地位

 余談だが、私は団塊ジュニア世代である。受験競争の真っただ中の世代で、学校にはまだ体罰が残っているような時代であった。生徒数が多いからなのだろう、画一的管理一辺倒の教育であったように思う。そのような管理教育の中で向学心にあふれ、かつ余裕のある暮らしの家庭に育った子女たちは大学へと進学する。そうでなければ、高校卒業と同時に社会人となり、早々と経験を積んでいく。片や管理のレールから外れた生徒たちは、世に言う不良としての道を歩む、そんな時代であった。言うなれば学歴の差が、将来において社会的地位差を広げると思われていた当時である。その通りなら、当時から数十年を経た現在では、同級生たちにさぞかし大きな差が付いていることだろう。だが、そうではなかった。当時、大学に進学した人たちと、勉学をおろそかにして遊びほうけていた人たちの現在を比較すると、その社会的地位の差は思いのほか見られない。最近は同窓会などに参加しなくても、SNS(インターネット)を通して同窓生の近況などを容易に知ることができる時代になった。SNS越しに当時の同級生の近況を見てみるとよい。あきらかに差がないことに気付くはずだ。

考える力

 働く人にとって現代は、AI・コンピューターには及ばないところ、つまり人間だからこそ発揮できる高いリーダーシップやコミュニケーション能力に加え、企画力や実行力が必要とされることになるのだが、このような能力は、本人の潜在能力や経験によるところが大きい。決して高学歴でなくてもよいということが、前述の「社会的地位の差」に如実に表れているのではないだろうか。寡黙でこつこつ仕事をするという、従来のあり方では通用しなくなっている。重ねて言うが、現代の労働ではコンピューターでは及ばない分野に価値があるとされている。発想力や対人交渉力、それに創業力など新たな価値を生み出す創造的な仕事である。そうなると、その後ろ盾となるのは自己の考える力であることは明白だ。状況を分析し、何が不足し何が必要かを考え、新たな業務を生み出し収益モデルを構築する。例えるなら、コンサルタント業務のような頭脳労働だ。

変化に順応

 以前の学校教育で良いと評価されていた「先生の言うことを素直に聞く生徒」いわゆる上意下達の人材は、もう通用しない。これに気付くことなく、誰かの指示を待って行動する人はいかに高学歴で経歴が秀逸でも、人材としての価値が見いだせない世の中になっている。そんな中、政府が旗を掲げて進める「働き方改革」は、短時間で高収益を上げなければ、労働分配率から見ると、その改革は立ちいかない。つまり、政府が主導する労働改革も本質的には、人材の優劣が問われているのである。ただ真面目に長時間働けば評価される時代は既に終わっている。これからはAIなどの進化に合わせて、コンピューターの及ばない人的分野を求め、刻々と変化する労働の価値を感じ取り、順応することが必要だ。そうでなければ、今たずさわっている労働の価値は下がり続ける一方である。立ち止まるわけにはいかない。とはいえ、人間の能力にも個人差がある中で、どれほどの人が対応していけるのだろうか。また、そのような人材は日本人だけで確保できるのだろうかと憂慮する。変化・進化の対応に必要となるのは、本人が持つ本質(DNA)や資質であり、決して教育だけの問題ではないことも付け加える。 「労働」を考えると、そんなところに思いが行き着く、今日この頃だ。     

      2019/12/01  鳥越勇人